逗子と葉山

自治体によって差が出ることは頭では理解していますが100年に一度と言うようなパンデミック対応のワクチン接種でこういった差が出るとは思いもよらぬことで新たな発見と言わざるを得ません。 地方自治の良さ悪さが思わぬところで露呈した感じです。むしろどこまでが国でやりどこまでを地方自治体がやるべきかと言う行政の線引きかと思います。このようなことから行政について考えることのきっかけが出来ることは良いのですが のど元過ぎればすぐ熱さを忘れるのも我々なのでこれは少し肝に銘じべきことだと思っています。

逗子と葉山は昔から微妙な関係があるような気がしています。この関係は住んでみないとわからないようなことが多いので当方なような逗子で生まれたような人種と、この地を終の棲家と考えて移住してきた人とでは理解できないことも多いと思います。例えば下水道の普及は圧倒的に逗子が優れています。当時の市長の英断で税金以外の各戸の負担もかなり多かったような記憶がありますが、こういったインフラは現在やろうとすると何でも税金と言う事になると財政が限られた町では結局いつできるかわからないと言う事になりかねません。市町村合併も議論が多く全く進みません。歴史尊重派の当方は合併不要論ですが行政で解決せねばならないこともたくさんあります。例えばごみ処理・下水道等です。こういった問題は広域行政で解決すべきかと思っています。ワクチン接種などもある意味広域行政が必要な事柄なのでしょう。そういう事から言えば現在国が進めている自衛隊による大規模接種事業など自治体の差を埋める施策と言う事から評価できると思っています。次元が違いますが京急新逗子」の駅名変更は折衷案の何物でなく、いかにも日本的でこれもありかと言った感じです。なんと「逗子・葉山駅」です。

微妙な違いが分かるかどうかですが両方住んだことがあればかなりはっきりわかるでしょうが大半はどちらか一方に住んでいます。逗子に住んでいて葉山が良いと思う事を挙げると『日本の原風景』がしっかり残っていることでしょうか。ある時期まで明らかに逗子にあったことをはっきり覚えていますが現在は完全に無くなったのが田んぼです。現在の逗子には田んぼは無いと承知していますが60歳から70歳までの10年間、葉山に田んぼの手伝いで通い続けていました。逗子には農協がありませんが葉山には農協がまだあります。公募による農家支援グループ「葉山山里会」という会に夫婦で参加しておりました。15~25名ぐらいの百姓大好き人間の集まりで目的は葉山町上山口にある棚田の景観維持と兼業農家の高齢化による労力不足に対するボランテイア支援です。当初は町役場の人間が会を立ち上げ、1年ほどしてから役場から手を離れ完全民営のNPOに移行しました。主な仕事は棚田作業の繁忙期に突如集合号令が発令され、それとばかりにその時手が空いている人間が無償で手を貸すのです。お天気商売なのでほとんど予告なしです。恒例になっているのが田植え・草取り・稲刈り・大根の間引き・サツマイモの植え付け・大根の収穫と洗浄等ですが結構な力仕事でした。その中でも何が大変かと言えば真夏の田んぼの草取りでしょうか。皆で並んで田んぼに入り、植えた稲の何列かを受け持ち、草を取っては埋め込んでゆく作業ですが中腰で遅れてはならじとの集団行動は苦痛の何物でもありません。会の立ち上げ直後は全くどこの馬の骨かわからない集団で何となくぎこちなかった人間関係でしたが重労働をこなしているうちに結構気心もしれ和気あいあいになったから不思議です。農作業の進め方など集団をどのように導いてゆくかなど結構うまい下手が見え見えでしたがなんだかんだで10年間続きました。単なる農家支援で、言われたことだけをやらされていたのでは面白くないと休耕地を会に貸してくれる農家も出て来て、それを会で借り上げて開墾し、好きなものを作ろうと言う事になったのが長続きした要因だったように思います。休耕で草ぼうぼう籔状態になった田んぼの開墾は大変でしたがジャガイモや里芋、カボチャなどを栽培し、収穫物は参加メンバーで完全な山分けをしました。ご存知のご当地タウンニュースの取材に協力したことから会に数十万円ほどの寄付があり、それを使って農機具を購入したり会の運営にはとても役立ったことでした。

会の行事での楽しい思い出は年末の恒例行事になった餅つき大会です。農家側もタダ働きでは済まないと言う事からか収穫したもち米を提供してくれ、ついた餅や農産物のお土産をもらいました。豚汁などを作りみんなに振舞ったのも良い思い出です。参加農家ではそれぞれ特技を持っており、それを伝授してくれたのもいい思い出です。わら細工と竹細工の名人級の方がおりました。わら細工の名人には正月の飾り物、例えばしめ縄やしめ飾りなど毎年教わるのですが1年に一回では全く覚えておらず都度聞きながら作っておりました。竹細工の名人には竹林の管理・維持作業を教わりました。炭焼き集団にも紹介され見学体験なども経験させてもらいました。住めば都とはこういったことの体験を通じて感じ取ることが多かったように思います。単に隣町と言うだけでなくこういった活動を踏んでの理解は葉山を理解するのに充分だったと思っています。