ヤマモモ

 ヤマモモがパラパラ落ちだしています。この時期最初がビワ、同時に桑(ターキッシュブラック)、次は梅で最後がこのヤマモモの季節です。ジャムにしたり果実酒にしたり落ちたまま腐って土に還ったり様々です。我が家のヤマモモは生食には向きません。又ジャムもあまりに酸っぱくてこれもダメです。結果果実酒にしますがこれは大成功で味はともかくきれいなピンク色の酒は食前酒にもってこいです。もう数十年前ですが親父が苗木を購入し庭の正面の生垣のすぐ近くに植えたものです。ヤマモモも品種により葉が茂るばかりで実が小さくジャムや果実酒には全く向かない品種があります。一寸調べた結果は以下の通りです。(出典:NHK「みんなの趣味の園芸」)

①瑞光(ずいこう)
山桃の中で、最もポピュラーな品種。毎年結実し果実は大きく、接木後3~4年で結実、収量も多い。しかし、生食すると松ヤニ臭い。ヤマモモ酒等の加工原料としては、最適の品種。
②秀光(しゅうこう)
山桃独特の松ヤニ臭さが無く、生で食べてとても美味しい品種。暑さには強く、関東以南から沖縄まで植えられている。森口、瑞光より一回り大きい果実。また植え付け2年目より結実することもある。「秀峰」「平井1号」とも呼ばれる高品位の品種。
③森口(もりぐち)
松ヤニ臭さが無く、酸味は少なく、果汁は多く、糖度も高く、生食できるタイプの山桃。「秀光」はこの品種より、果実は大きく、種は小さく果食部が大きい。糖度も平均11度ある。秀光はこの品種から大実が採れる確率が高い樹を選抜したもの。
④東魁(とうかい)
直径36.6~37.3mm有り、果重は22~25g、つまりピンポン玉サイズ。中国から約7年前に導入された品種。糖度も12度と非常に高い上、現存する山桃品種の収穫が終わってから出荷できるのも強みである。まだ収量データ、隔年性に関するデータはないが、間違いなく単価がとれる品種になるであろう。
⑤山桃オス(やまももおす)
山桃の花粉は中国から飛んでくると云われるほど、遠くまで飛散するので、オス木は必要無いと思われるが、心配なら植える。

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ヘメロカリス

 ヘメロカリスは初夏から夏にかけて次々と花を咲かせる多年草で、日本にはニッコウキスゲノカンゾウヤブカンゾウが自生し、古くから親しまれています。暑さ寒さに強いうえ、土壌もあまり選ばず、植えっぱなしでよく育ちます。
「デイリリー」の英名どおり、花は一日花ですが、1本の花茎にたくさんの花を咲かせ、何本も立ち上がるので、長期間花が楽しめます。開花盛期は主に6月から7月ですが、5月から咲く早生品種から8月に咲く晩生品種まであります。園芸品種は2万以上あるといわれ、花色、花形、草姿などさまざまです。午前中の花が美しいです。

家のヘメロカリスは両親が生きているころなのでもう数十年まえから鉢植えで庭の隅で

ひっそり生き続けていたいたものですが数年前鉢の土を取り換えたところ元気に花が咲くようになったものです

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中玉トマト

 3月百均で購入した中玉トマトの種ですが24粒入っていましたがそのうち23粒がしっかり発芽しました。一株一鉢で定植し、6月中旬の姿がこの写真です。背丈位に成長し現在花盛りです。株によっては小さな実が出来たものがちらほら見られます。収穫できるのはやはり7月に入ってからだろうと思います。

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ウコン

余り見慣れない花ですが庭の片隅でひっそり咲いていたのを見つけました。

「春に花を咲かせる春ウコンと、秋に花を咲かせる秋ウコンで、春ウコンと、秋ウコンは品種そのものが違います。一般的にウコンといえば「秋ウコン」のことを指すことが多いです。秋ウコンは果肉がオレンジ色で「クルクミン」が春ウコンより多く含まれています。これに対して春ウコンの果肉は黄色でミネラル分が多く含まれています。」

この文から掲載の写真の庭のウコンは春ウコンのようです。

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ポンポンダリア

上段の写真は2020年のポンポンダリアです。種を蒔いて育てたもので期待以上の花が咲いてくれました。ダリアは本来球根からと思い込んでいたので期待以上となったわけです。下段の写真は今年のもので今日撮った写真です。花が終わり葉が枯れたころ茎の根元で切り落とし鉢のまま掘り起こさずに年を越させました。冬場なので水は一切やらず自然の天気に任せて放置したものです。3月になって根元から新しい芽が出て来たので化成肥料を少しばら撒いて水は適宜与えていました。その結果で開花したのが下段の写真です。

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種からのポンポンダリア  2020年

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球根からのポンポンダリア  2021年

 

2021年水無月便り

皆様
 今年の梅雨入りですが西の方は5月中旬と例年に比べ20日も早まったようですが東の方はどうなるのか気になるところです。例年ですと6月7日と承知していますがそんな時期になりました。政府の新型コロナ対策本部は宣言延長を本日から20日までと決定しました。首相は記者会見で「全国の新規感染者数は減少に転じているが、依然として予断を許さない状況だ」と。当方のワクチン接種ですが先月23日に逗子市の集団接種第1回目を済ませました。副反応と言える症状は特にありませんでしたが、筋肉注射など生まれて初めてですが注射はもう一つ好きにはなれません。インフルエンザの注射はずっとパスしてきたので血液検査で注射針を刺されるぐらいなので簡単には慣れることもありません。2回目の接種は6月13日となりました。さて6月の便りです。今月も宜しくお願い致します。
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2021年水無月便り
 こんにちは。ひと月経つのがめっきり早く感じます。何か忙しく働いているのならそれも分かるのですが、もう19年間も毎日が日曜日をやっており、更に1年以上巣籠生活を強いられているのにそんな風に感じるのが不思議です。何もしない事が日常になるとそんな風になるものかというのが新発見と言えば新発見です。何もしないとは言え全く朝から晩まで何もしないわけではありません。朝起きて落ち葉履きのようなそれなりのルーテインワークをし、いつもと同じようにBSで再放送の朝ドラから始まるテレビを見ながら朝食を取り、いつものニュース番組を見ながら世俗の今を理解し、と言ったようなことの繰り返しですがテレビを見ると言う受け身の行動は何もしていないと同じことと思っています。生産性と言う視点からは全く零です。人のためとか社会のためとか日本のためとか世界のためという視点から縁が遠くなりました。こういった毎日なのに時間ばかりがどんどん過ぎてゆくのです。今のところ体調は悪くないので好き勝手に能書きを言っていますがこれで体調でも悪くしたら傍迷惑の何物でもありません。唯一生産的な行動と言えるのが投資行動ですがコロナ禍で社会が正常でない中、どう稼ぐかは結構大変です。ボケ防止の名目で20年前に退職金の一部を元手にはじめたものですが今や社会とつながる唯一の行動になってしまいました。パソコンでそれなりの判断をしてクリック一つでかなりの大金を動かすのでボケてはいられません。プロではないので現物取引しかしませんし、デイトレーダーのように朝から晩まで画面と睨めっこのようなことは一切しません。15年間位は売買差益で何とか結果を出そうと悪戦苦闘しましたが、5年ほど前から方針変更して高配当株に少しずつ切り替えてきました。証券会社のお兄さんには悪いのですが、全くの不労所得に徹し、配当だけで稼ごうと言う魂胆です。リスク分散は一種の財産三分法の適用ですがバランスを考えて投資することです。ご存知のように「不動産」「現預金」そして「有価証券」の3つに分けておけば、資産価格がどのように変化しても対応できるとされます。「50、60は鼻たれ小僧 男盛りは8、90」で知られる安田善次郎が唱えたとされていますが、この考え方が現代にも通じるかと言われるとやや疑問ですがその応用法の追求です。この応用で国内株式をこれに類するものに分類して一定割合でその分類に投資先を切り替えてきました。REITはまさに国内不動産そのものですし、国内株式を消費直結関連企業と鉄鋼のような基礎産業資材を扱う企業にグルーピングし投資先を選ぶときに分散投資します。更にサラリーマン根性が抜けないのか、毎月入金があるように決算月を考慮します。3月決算が多いので配当金の振り込みが6月に集中しがちですがまんべんなく毎月振り込みがあるように銘柄を選択します。探せば結構あるもので、ある意味分散投資なのです。所詮すべて株式投資なので本来の三分法ではありませんし、持たざる者の姑息な考えですが、超低金利の銀行預金ではじり貧は目に見えていると言わざるを得ません。わずかでも「入る」を図る一方「出」も制します。ネットでの買い物は価格ドットコムで探し、ポイント活用とか、送料無料を探すぐらいしか思いつきませんが、今や面白いもので近所のドラッグストアーで買えるものでも、探せば送料無料でほぼ同じ値段で買えるのです。今月はネタ切れとは言えしけた話でした。それでは御機嫌様さようなら。  2021年6月1日

逗子と葉山

自治体によって差が出ることは頭では理解していますが100年に一度と言うようなパンデミック対応のワクチン接種でこういった差が出るとは思いもよらぬことで新たな発見と言わざるを得ません。 地方自治の良さ悪さが思わぬところで露呈した感じです。むしろどこまでが国でやりどこまでを地方自治体がやるべきかと言う行政の線引きかと思います。このようなことから行政について考えることのきっかけが出来ることは良いのですが のど元過ぎればすぐ熱さを忘れるのも我々なのでこれは少し肝に銘じべきことだと思っています。

逗子と葉山は昔から微妙な関係があるような気がしています。この関係は住んでみないとわからないようなことが多いので当方なような逗子で生まれたような人種と、この地を終の棲家と考えて移住してきた人とでは理解できないことも多いと思います。例えば下水道の普及は圧倒的に逗子が優れています。当時の市長の英断で税金以外の各戸の負担もかなり多かったような記憶がありますが、こういったインフラは現在やろうとすると何でも税金と言う事になると財政が限られた町では結局いつできるかわからないと言う事になりかねません。市町村合併も議論が多く全く進みません。歴史尊重派の当方は合併不要論ですが行政で解決せねばならないこともたくさんあります。例えばごみ処理・下水道等です。こういった問題は広域行政で解決すべきかと思っています。ワクチン接種などもある意味広域行政が必要な事柄なのでしょう。そういう事から言えば現在国が進めている自衛隊による大規模接種事業など自治体の差を埋める施策と言う事から評価できると思っています。次元が違いますが京急新逗子」の駅名変更は折衷案の何物でなく、いかにも日本的でこれもありかと言った感じです。なんと「逗子・葉山駅」です。

微妙な違いが分かるかどうかですが両方住んだことがあればかなりはっきりわかるでしょうが大半はどちらか一方に住んでいます。逗子に住んでいて葉山が良いと思う事を挙げると『日本の原風景』がしっかり残っていることでしょうか。ある時期まで明らかに逗子にあったことをはっきり覚えていますが現在は完全に無くなったのが田んぼです。現在の逗子には田んぼは無いと承知していますが60歳から70歳までの10年間、葉山に田んぼの手伝いで通い続けていました。逗子には農協がありませんが葉山には農協がまだあります。公募による農家支援グループ「葉山山里会」という会に夫婦で参加しておりました。15~25名ぐらいの百姓大好き人間の集まりで目的は葉山町上山口にある棚田の景観維持と兼業農家の高齢化による労力不足に対するボランテイア支援です。当初は町役場の人間が会を立ち上げ、1年ほどしてから役場から手を離れ完全民営のNPOに移行しました。主な仕事は棚田作業の繁忙期に突如集合号令が発令され、それとばかりにその時手が空いている人間が無償で手を貸すのです。お天気商売なのでほとんど予告なしです。恒例になっているのが田植え・草取り・稲刈り・大根の間引き・サツマイモの植え付け・大根の収穫と洗浄等ですが結構な力仕事でした。その中でも何が大変かと言えば真夏の田んぼの草取りでしょうか。皆で並んで田んぼに入り、植えた稲の何列かを受け持ち、草を取っては埋め込んでゆく作業ですが中腰で遅れてはならじとの集団行動は苦痛の何物でもありません。会の立ち上げ直後は全くどこの馬の骨かわからない集団で何となくぎこちなかった人間関係でしたが重労働をこなしているうちに結構気心もしれ和気あいあいになったから不思議です。農作業の進め方など集団をどのように導いてゆくかなど結構うまい下手が見え見えでしたがなんだかんだで10年間続きました。単なる農家支援で、言われたことだけをやらされていたのでは面白くないと休耕地を会に貸してくれる農家も出て来て、それを会で借り上げて開墾し、好きなものを作ろうと言う事になったのが長続きした要因だったように思います。休耕で草ぼうぼう籔状態になった田んぼの開墾は大変でしたがジャガイモや里芋、カボチャなどを栽培し、収穫物は参加メンバーで完全な山分けをしました。ご存知のご当地タウンニュースの取材に協力したことから会に数十万円ほどの寄付があり、それを使って農機具を購入したり会の運営にはとても役立ったことでした。

会の行事での楽しい思い出は年末の恒例行事になった餅つき大会です。農家側もタダ働きでは済まないと言う事からか収穫したもち米を提供してくれ、ついた餅や農産物のお土産をもらいました。豚汁などを作りみんなに振舞ったのも良い思い出です。参加農家ではそれぞれ特技を持っており、それを伝授してくれたのもいい思い出です。わら細工と竹細工の名人級の方がおりました。わら細工の名人には正月の飾り物、例えばしめ縄やしめ飾りなど毎年教わるのですが1年に一回では全く覚えておらず都度聞きながら作っておりました。竹細工の名人には竹林の管理・維持作業を教わりました。炭焼き集団にも紹介され見学体験なども経験させてもらいました。住めば都とはこういったことの体験を通じて感じ取ることが多かったように思います。単に隣町と言うだけでなくこういった活動を踏んでの理解は葉山を理解するのに充分だったと思っています。