所有マンション売却顛末

所有マンション売却顛末

 西宮市に所有のマンションを売却することにしました。購入当時の会社方針が持家制度を奨励していたので、社宅で安く住める期間は5年間という期限付きでした。高い家賃を払うより借金してでも購入した方がいずれは資産として残ると考えてのことでした。周囲田んぼとねぎ畑だったこのマンションには結果的に3年しか住んでいません。家を持つと転勤すると真しやかに囁かれていましたが、もともと東京転勤希望だったので会社に借り上げてもらい、東京では退職3年前まで社宅を転々としていました。借り上げ制度は一見所有者に便利ですが、安い家賃で社員に貸し、それより一寸高い社宅家賃を払うといった感じだったので、結局自分で不動産屋を探し借金返済の原資にしました。退職後もそのまま賃貸し、収入は温泉旅行代として有効に使ってきたのですが、この先いつまでも賃貸でもあるまい、そろそろ処分するタイミングかなと、未だ終活にはちょいと早いですがまあそんな動機です。ネットで不動産屋を探し5社に査定依頼、結果を比較検討するという手法で最終的に1社に決め、専属専任媒介契約を結びました。5社の査定は概ね同じような結果で一番高いところと一番安いところを外し、中間値を出してきた大手に決めましたがこれで良かったのかもう一つもやもやしています。本来は契約会社と対面して決めた方が良いのでしょうが遠隔地なのでやむを得ず、ビジネスと割り切ったものの不動産会社の担当者が入社2年目といういわばまだ経験の浅いものだったので電話でのやり取りでは気が利かない返事ばかりで、かなり苛立ったやり取りになったのも尾を引いているかもしれません。築後42年も経っているのに購入時より高い査定だったので充分元は取れるとの取らぬ狸ですがどうなることやら。このマンションほとんど住んでいないのに妙な愛着といわく因縁があります。阪神大震災では半壊との市からの査定を受け各戸200万円ほど臨時徴収の大規模修理を余儀なくされました。スーパーや病院も近くに建設され、周辺一帯は震災後の区画整理で隣接地に大きな公園が作られました。阪急神戸線西宮北口駅の北東側ですが、元々この辺りは、駅前商店街、公設市場などゴチャゴチャした約230店が建ち並ぶ古い商業地でした。阪神・淡路大震災により軒並み壊滅的な打撃を受け、その後の大規模再開発で「アクタ西宮」というショッピングモールに生まれ変りました。さらに、南東側の元西宮球場跡地の再開発による「阪急西宮ガーデンズ」が2008年11月に開業すると、当地区の買い物客を奪われて苦境に陥ることになったようですが、懸案事項だった西宮北口駅南北間アンダーパスが完成、大型車の通行が困難だった同駅前の道路事情が大幅に改善され一大商業地区に変身しました。大変貌を遂げた西宮北口駅周辺ですが先見の明というより阪神大震災のお蔭でマンション価格もそれなりの査定となったようです。災い転じて福となすを地で言った感じです。マンションの売却ですが、売り出してから半月程で買い手が付きました。建物瑕疵担保免責・付帯設備の性能義務無しという名目での値引き要求がありましたが、株の1日の評価損から考えるとまあいいかといったような感じでここぞ売り時とばかりに即決しました。仮契約のため10数年ぶりに大阪まで行きましたが、会社時代の友人と愉快な時間を過ごすことが出来たのが何よりの収穫でした。お二人とも外見はやはり歳を感じさせましたが、会話は当時と変わりなく快テンポでした。ただあまりの大阪駅前の変貌で約束の場所がこちらの勘違いから、あわや「君の名は」のすれ違いになるところでしたが、30分遅刻の再会でした。携帯電話は持たぬ主義も、この時ばかりは一寸焦ったのは事実です。結局それから1か月後の7月21日最終契約の手続きが行われましたが、遠隔地を理由に司法書士と不動産会社にすべてお任せし、翌日残額の振込金額を確認し一巻の終わりと相成った次第です。

2015年7月24日