関東VS関西

何となくそれなりに収まってきた」今日この頃ですが、暑いので家でじっとしていても手持無沙汰なので暇つぶしに綴ってみました。関西を離れて既に37年になります。現在、関西との直接的繋がりは西宮市に所有するマンションと会社時代の友人で現在でも年賀状やメールのやり取りをしている方たちだけとなり、どんどん関西から遠のいていっていることに気づかされます。入社後11年間関西で暮らしていたのですからある程度の土地勘も出来、人情振り等にも慣れ、言葉も関東に帰ってきた当初「なんだその言葉遣いは」と言われたほど関西弁がところどころに混じった変なことばになったのも事実です。それも今ではすっかり抜けてしまい11年間も関西に住んでいたことすら忘れてしまっています。関東から関西を改めて俯瞰しながら眺めてみると何か違った見方が出てくるのでは思います。益々東京一極集中になったように感じます。昔より関西の影が薄くなったような気がしています。最近大阪都構想などで気勢を上げやや注目されたもののショウモナイ失言で可笑しくしてしまいました。密かなる関西応援団としては残念なことと思っています。各府県個性があり、それなりにやっているのになぜか関東から見るともう一つといった感があります。リーダーシップと広域行政とで関東に対抗できる地域になることが日本全体の底力アップになると信じている応援団としては歯がゆい次第です大阪の変貌ぶりやら西宮の変貌ぶりを一度見に行きたいと思いますがその節はよろしくお願いします。そろそろマンションも処分せねばと思っていますが、ズルズル時が過ぎてゆきます。

-------上記ボヤキに対し、関西の友人からの返信です-----------------

関東と関西の関係について、お気持ちわかります。しかし、時に東京に行っての感想を言えば、今の関西ではとても東京に対抗等などできませんね。東京は魔物です。自然の成り行きに任せれば益々巨大な魔物となって行きますね。嘗て、首都圏移転が結構本気で話題になりました。今こそ更に具体化へ、と思うのですが、一向にその動きは見えません。理由はふたつ。ひとつは、中央の怠慢。危機管理の希薄さ。事が起こらないと動かない特質。本当は、事は起こっているはずなのに・・・です。ふたつ目は、関西圏の問題。地方政界も経済界も構想力がない。人がいない。各論になると(小生にしたら、各論以前の問題と思えるが)おれがおれが。更に、久し振りに何かをやれそうな橋本にしてからがあのていたらく。少々人気が出たら、直ぐに中央に顔が向く。まだまだ力不足なのに。その力不足をカバーするのが、先ずは関西(大阪)で一点突破のシナリオ。それがまだまだ分をわきまえずに、管理領域外のことに顔を出そうとする。ひたすら関西で更なる実績を積めば、黙っていても中央がほっておかないのに。原点に戻って雑巾がけからスタートすべきですね。やはり外部からの「マレビト」を待つしかないのでしょうか。○○さんに教えを受けたTPPも賽は投げられたようですが、相変わらず、「国益は守る」などと何の裏付けもないことを声高に叫んでいるだけ。そんなことを言ってる間に、農業の将来像を論ずることこそが大事なのに。それは遅々として進まず。そのうちにまた政治家の言い訳が始まるでしょう。農業界自身も何とか自己改革の道を模索することをしなくてはじり貧するだけ。どうも悲観的なことばかりで・・・・。

----------さらに別の友人からのご意見です。--------------------------------------

(指導者たちではない我々自身のことを書きます)首都圏の人たちが地方を遠く思うのはそれで良いのです。地方の人が同じように東京を遠く思うというシンメトリーな構造になっているのなら。実態は大違いで、地方が自らのアイデンティティを作り上げられず、東京との距離感でしか自らを測れなくなっています。指導者のことはさておき、我々自身の意識が、東京と同じ価値観しか持てなくなってしまった元凶はやはりテレビでしょうね。地方局もキー局の番組を流しているだけですから、全国どこにいても東京発のテレビを見ている。この影響はすごく大きいです。東京に集中豪雨があると日本中集中豪雨みたいな気分になる、東京で人が死ぬと、鹿児島で死ぬよりもひとケタ多い報道がされる。これはアメリカで人が死ぬのとシリアで人が死ぬのとの報道量の差ほどではありませんが同じ構造です。新聞の世界ではまだまだ地方ががんばっています。北海道新聞神戸新聞は面白いし、先日新潟県十日町市に行ったら、十日町新報という週2回発行のタブロイド版の新聞がありました。そういえば一年ほど前から、新聞は後ろから、すなわち社会面から読むようになりました。面白いほかに、社会面はテレビでは流されない記事が多いという理由もあります。とはいえ、グローバル化した現代では膨大な顧客を相手にするのでなければ商売にならないのが現実で、地方新聞の経営はたぶん火の車でしょう。膨大な顧客という点では宮崎駿監督が、「韓国の映画界にとって韓国の人口が少ないのは致命的だ」「日本のアニメの将来は暗い、なぜなら日本の子供人口は減り続けるから」と言っていたのには驚きました。映画を作ろうと思ったら韓国の人口5000万人ではまだ足りない、というのですから。商売しようと思ったら人口が多い東京、したがって首都圏の人口はますます膨れ上がる、テレビも政治家もそこにターゲットを絞る、地方は東京と一体化した気分で何とか生き続ける、これが現実です。そこをひっくり返すのは、ソーシャルメディアかもしれないと期待しているのですが、どうでしょうか。ソーシャルメディアは日本をさらに平準化する可能性もありますが、地方の小さな芽や、首都圏も含めた全国の新しい動きを育てる力もあるように思うのです。繰り返します。首都圏の人が地方を遠く思うのはそれで良いのです。地方が自らの地方を身近に思い、東京を遠く思うことができるのなら。地方に住む私のこれからの生き方は、そういうことだと思っています。皆さんが指摘した通り、橋下が決定的にダメなのは、大阪自らの地方力を確立するまえに、権力構造を変えるとかのお題目で中央志向したこと、なにが地方分権か、大阪はただの踏み台かと突っ込みたくなります。橋本が知事に当選した頃、昔のことです、トウキョウの友人たちから「関西って芸能人を知事に選ぶのが好きだなあ」と揶揄されました。「文士を知事に選ぶのと変わりない」と返しましたが、目くそ鼻くそかな。