庭の手入れ

我が家の庭で すが以下親父が生前『花の心』と言う自作の短歌集の前文に記述したものですがこんな感じです
「私は幸い若いころから自宅の猫額の庭に雑木を所狭しと植え、それが歳月と共に育ち今では相当の高さまで伸びて雑 木の林をなしている。ここに春が来れば木々の枝に小さな花を見せ、夏来たらば蝉しぐれに暁の夢を破られる。また秋ともな れば黄葉の落葉の落ち葉の下コオロギの蚊細き啼き声を耳にし、冬来らば枝間の雪花を見る。小自然はこの様に間断なき変化 を見せてくれ、その上晴れた日は陽の光の嬉しさを恵み、雨の音の懐かしさに耳を傾けさせ、この大地を渡る風の音にも親し みを持たせてくれる。これらのものは自らが生きていることの実感を味わわせてくれることしばしばである。ここに詩情の源 泉があると思う。」
当方が書いた2016年の水無月便りの出だしには
「先月は五月晴れと言われる晴れの日が多く続いたとの印象が強く、また北海道内では、12か所で3日連続真夏日を 観測しています。5月の真夏日は珍しくない北海道でも、同じ地点で3日続けて観測するのは初めてだということです。ここ 南関東はお陰様で快適な日々が続いております。庭の緑は更に色鮮やかになりました。欅、松、楓、梅、柏、樒、胡桃、山 桃、桜、琵琶、椿、月桂樹、柘榴、フェイジョア、グワバ、ツツジ、葡萄、山椒、夏蜜柑、三宝柑、橙、柚子、千両、万両、 木槿南天、生け垣はレッドロビン、等々ともかく植え込まれた樹々の緑で埋め尽くされている我が家です。これらの樹々が 真夏は効果てきめんでクーラー無しでも何とか過ごせる環境を作ってくれます。現在の我が家はリタイアする3年前1999 年12月に建て替えたものですが、それ以前の家は昭和初期頃に建てられたもので筑後70年以上の木造平屋建でした。大 正・昭和の匂いがそこかしこにする家で冬は隙間風がどこからともなく吹き込んできました。両親はこの家に愛着があり、最 後まで拘って住み続けていました。「蒼月居處」と鎌倉彫で門札を自作し掲げていました。庭には森のように樹木を植え込 み、また、山野草特にエビネについては近くの山から採取した地エビネや珍しいエビネを通販で取り寄せたり、近郊でエビネ 展があれば出かけて買い求めたりプロ級ではないかと思うぐらいでした。エビネ以外には万年青や岩タバコなども数多くの品 種を集めていたような記憶があります。父が亡くなってから庭は荒れだし山野草の類は年々姿を消してしまいました。椿も何 本かは枯れてしまいましたが、樹木は今や庭を覆いつくすまでになっています。良いことばかりではありません。椿が多いた め梅雨前には茶毒蛾の幼虫の大量発生には目を光らせねばなりません。」
とまあこんな感じなので写真がなくともご想像いただけるかと思います。植木屋さんは1回/年暮れにに 頼んでいます。親父が生きていたころは帰省するたびに梯子を下で支える役をやらされていました。自分の代になって出来る ことはかなりやっていますが最近は高いところが全くダメで恐怖を覚えるのでさっさと止めましたが、高枝切狭みで可能なと ころはせっせとやっています。どうしても素人ではできない剪定があります。何故か「門かぶりの松」があるのです。これば かりは素人が下手に手を出すとロクなことにならないので職人に頼みます。松一本だけの剪定では高くつくので「3人・終日」と条件付 きで依頼しています。この範囲で高木中心に剪定を頼んでいます。