2015年長月便り

皆様
一挙に秋到来で早くも秋雨前線に見舞われ、はっきりしない毎日が続いております。
今年の猛暑も嘘のような激変ぶりには自然への驚嘆を禁じえません。
「長月便り」と付録で「老後対策その3」をお送りします。

 
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2015年長月便り
こんにちは。
一挙に秋到来で早くも秋雨前線に見舞われ、はっきりしない毎日が続いております。西の方はまだ猛暑に悩まされているようですがご愁傷様としか言いようがありません。毎日うだるような猛暑が続き、ついに耐えかねて、エコ住まいという意に反してのエアコンの購入という事に相成りました。現在住んでいる家ですが、昭和初期に親父が建てた平家を取り壊し、1999年12月に2階建て太陽光発電付きで新築したものです。夏場の暑さ対策は、元々親父の趣向で森のように樹木が植えてある庭と、風通しを考えての窓の大きさと位置を考慮した家のレイアウトが頼りでした。唯一息子の部屋にあるエアコンは南西の角部屋でもあり、社宅住まいのころまだ当時購入したばかりのエアコンを移設したものでした。昼間は扇風機や窓の開放でそれなりに過ごせますが、夜は防犯上のこともあり、あけっぴろげというわけにはどうしても行きません。息子の部屋の古いエアコンの買い替えと、寝室に使っている和室8畳と6畳ぶっ通しで使える大型のエアコンと併せて2台を購入しました。8月半ばに設置されたのですが結果的に夜通し使ったのは2回だけと何とも間の抜けた猛暑対策でした。設置と同時にファックス付電話機がうんともすんとも言わなくなり、原因はブレーカーの取り換えでのエアコン設置に絡む一時的な過電流か過電圧の負荷ではないかと思いましたが、電話器の経年変化(18年使用)によるということにして、新しい電話器の購入というおまけ付の騒動でした。 
 このところの株価の乱高下には振り回され続けております。当然のリスクなので慌てず騒がずを貫き通してはいますが、凡人であることと所詮貧乏人では、中々泰然自若というわけには行きません。原因は中国経済の動向と睨んでおり、一寸オーバーで大胆とは思いますが、自由主義・資本主義経済と共産主義統制経済の象徴的な戦いの局面ではないかと思ったりしております。すぐに答えが出るわけではありませんが中国の内部崩壊もこういったことの積み上げや、ネット社会の情報コントロールの限界等探せばいくらでも転がっているように思えます。市場を甘く見てはいけません。3月に株価は一種の社会現象の指数と書きましたが、単なる経済指標ではなく思惑やら、政治やら、人間社会の縮図が凝縮されたものと考えても間違いではないとの持論です。それだけに奥深いものではないかと考えております。なんだかんだと理屈を言っても最後は損か得か手数料の取られ損か投資家にとっては必ず決着がつきますので慎重にならざるを得ず、呆け防止対策としての効果テキメンです。
 最後になりましたが、トマト・キユウリ・トウモロコシ・カボチャの夏野菜の出来ですが、それぞれ
130・90・70・40程度の出来といった感じです。まあホビー農業としての今年の出来は猛暑にも関わらず、概ね良好といった所でしょうか。では御機嫌様さようなら。
2015年9月1日
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長月便り付録

老後対策その3
老後対策その1並びにその2についてはすでに「弥生便り」で述べましたが最近見たテレビで60代突入と70代になってからの実践例が紹介されました。到底並みの凡人では相応の覚悟がないと実行不可能ですが、一種の敬意と驚嘆がありました。
一人はご存じ欽ちゃんこと萩本欽一です。70歳過ぎて大学受験し見事合格2015年4月より駒澤大学仏教学部に在学しています。どんな受験勉強かとみればプロが絶賛独自のノート作りです。英単語3000語をどうやって覚えるか。脳科学者や先生がその素晴らしさの根拠を指摘しながらの絶賛です。大学受験の動機ですが、認知症予防に勉強する→目標を決めた方がいい→大学受験→合格しちゃったとのことですが、受験科目は英語と小論文並びに面接。長く英語には縁がなく「三人称単数の勉強から始めなきゃいけなかった」と。当初は参考書も全く理解できず「全然ダメなまま4カ月が過ぎた」が、独自の記憶法を編み出し、急激に成績が上がった。「Climate(気候)って単語があるじゃない。あれをローマ字読みして“クリ待て、聞こう”なんて小話を作ったの」。新たに参考書を自作し、約2500の英単語を暗記。午前中は覚える時間にあて、午後は独自のノート作り、当然仕事を続けながらです。この時間割は脳科学者も絶賛。受験勉強は自宅の自室と、家庭教師は事務所で、それ以外の場所では一切受験勉強は行わなかったそうです。正に時間の使い方、切り替えの見事さはなかなか真似できるものではありません。同年代の当方など、自分に照らして新たに英単語を覚えることなど最初からもう無理と考えもしないでしょう。凡人の凡人たるゆえんです。ついていた家庭教師も非常に的確なアドバイスをしたようです。最初の模擬試験は40点、そこで挫折かというところで大学の合格点は60点、あと20点で合格できるとのアドバイス、2回目は62点、3回目は84点と確実に点数が上がったそうです。さて、試験は「どっこいどっこいの手応えだったよ」と言いつつ、見事合格を果たした。4月からは仕事と並行しキャンパスライフをスタートさせた。「認知症との闘いは終わらない。一日も休まず行くよ」と真剣モードで、同8日の入学式にも出席した。学生との交流にも積極的で「飲みに行って、リクエストがあればやっちゃうよ」と、“コンパで欽ちゃん走り”宣言も。
もう一人、60代の事例はご存じピーターこと池畑 慎之介の生き方です。慎之介は、上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝の長男として生まれた。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳しく仕込まれた。5歳の時に両親が離婚、好きな方を選べと言われ、父は舞の稽古で鬼のように怖かったので母・池畑清子と暮らすことを選択、鹿児島市で少年時代を過ごした。慎之介が父方の橋本姓ではなく母方の池畑姓を名乗るのはこれ以降である。池畑本人も才能ある舞踊家で、長らく「吉村雄秀(ゆうひで)」の名取でもあり、吉村流の例会にもきちんと出ていた。父・雄輝は晩年「慎之介をどうかよろしく」と家元継承を匂わせる発言もしていたが、1998年に死去すると池畑は自ら「雄秀」を返上して吉村流とは決別し、家元は実力のある内弟子が継ぐ、という流派の伝統を守らせた。本人は一から舞踊の勉強をやり直すことを決意したという。吉村流はそもそも女舞の流派で、3歳からおしろいを塗って舞の舞台に立っていた池畑は、役者として女役を演じることには初めからなんの抵抗もなかったという。しかしながら、常時女装の美輪明宏や性転換をしたカルーセル麻紀らとの違いを自覚し、ひとくくりにカテゴライズされることには抵抗を感じている旨の発言をしている。父の死を機に、母と再び熱海で同居を始めるも、母は2002年に死去、両親が亡くなって自分一人になって、さてこれから先どうしよう。これまで静岡県熱海市と東京の港区、神奈川県横須賀市の3か所に家を所有、そのうちの2軒を売却したことを明かした。新しく横須賀に自分の住まいを建設、この家が決して“終の棲家”ではなく、第二の人生を楽しむため、身軽になったのだ、又親と過ごした思い出の写真、親が残した物等すべてを処分いわゆる断捨離したそうです。「必要のないものを断ち、捨てて、執着することから離れる」とう整理法のひとつです。いらないものを捨てて整理し、シンプルに生きようというような意味で、「ミニマリスト」や「最小限主義」と近い考え方です。この考え方は、ヨガの考え方である「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」を応用したものだと言われています。だから「断捨離」というようです。横須賀を基地に何をしようとしているのか、資産家である彼(彼女)なのでレベルが違い過ぎますが思い切った断捨離です。親が亡くなったので親との思い出は携帯で写真に撮りすべてを処分するなど簡単にできることではありません。この先子供がいるのなら別ですがその必要もないというので明快です。要するに物に拘らず身軽にすることを手始めにしたとのこと。60代以上の人を表彰するイベントで「ベスト・プラチナエイジ」に選ばれたのですが、これから挑戦したい夢があるそうです。「キャンピングカーを買って、海岸沿いに日本全国を回ってみたらどんなふうになるんだろうと思って」。一つの家に落ち着き、これからは好きなことをして暮らしていきたい、挑戦したいことはまだまだある。そんな彼とって、料理がストレス発散の一つとなっているようで腕はプロ。「60代で輝ける秘訣」は「ジッとしていないことかな」と。「私は落ち着きたくないんで。まだまだアクティブにいろんなことをして、驚いたり、感心したり、失敗したりしたいですね」。独り身の一つの生き方を示唆しているように思います。
2015年9月1日