令和元年皐月便り

皆様
今日は記念すべき日です。改元の初日です。
元号はいわば時間という横軸に名前を付けることですが結構分かりやすくその時代を表現するのにはもってこいです。
1920年代(㊟)と言ってもピンときませんが明治・大正・昭和・平成と言えば人によっての知識・思い入れ・経験でその時代を簡単にイメージさせてくれます。親父は明治生まれ、お袋は大正生まれその息子である当方は明治大正と現代をつなぐ昭和生まれとうそぶいていた時期がありました。その昭和・平成も終わり新しい元号「令和元年」の今日は初日です
別名「令和元年皐月便り」お届けします。今後ともよろしくお願いいたします。

1920年代に入ると大戦景気の反動による不況(戦後恐慌)をはじめとして、震災恐慌、金融恐慌など経済的な苦境がつづいた。都市の中間層の増大は大正デモクラシーといわれる政治上の主張としてあらわれ、一般大衆の選挙権を求める運動 (普通選挙法)がさかんとなった。本格的な政党政治がおこなわれ、一方では社会主義思想が広まって労働争議や小作争議が相次いだ。

<参考>先月の便り
 いよいよ新年度の始まりです。
 そういえば「平成」最後の月の便りとなります。この便りは「年」表記は当初から西暦を使い、「月」表記は当初から「和風月名」の表記にしています。
 現役時代、年の表記はそれまで何の疑問を抱かずに元号を使用していましたが、たまたま昭和から平成への改元に遭遇し 文書管理上の選択を迫られ、迷うことなく西暦に切り替えました。以降公的、私的を問わず元号を強制される文書 (何故か行政文書・銀行の文書が多い)はやむを得ず元号を使っていますがそれ以外は本能的に西暦を使用するようになりました。
 本能的とはちょっとオーバーですが自然に頭に浮かぶ年の数です。元号に25を足せば昭和を西暦に、88を足せば平成を 西暦にと言った換算ルールなども本能的に出てきます。 和風月名ですがこれは何となく「季節の便り」にはこれがふさわしいのではと思って意識した記憶があります。 前置きは以上ですが平成最後の月の便り添付します

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        2019(令和元)年皐月便り
 こんにちは。新元号開始の記念すべき日です。テーマは哲学ですが、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問、また、経験からつくりあげた人生観。と辞書にありますが普遍的にとらえるのではなく、後半のきわめて個人的な人生観を語ることにします。サラリーマン道半ばにふとリタイアー後に何をするかというテーマにぶち当たりました。41~2歳頃だったと思いますが当時はリタイアーしたら二度の勤めはせず、何か好きなことをして悠々自適に過ごすと漠然と考えていました。そこでまず思いついたのが月のうち10日間程度旅をし、あと20日間は晴耕雨読が良かろうと考えたわけです。どう言う旅か、きっかけは1983年放送の鈴木清順加藤治子出演のNHKテレビドラマ「みちしるべ」、ワゴン車を住まいにして旅する老夫婦。妻は足が不自由だが、2人だけの気ままな旅。時にふと死の予感におののき、沈黙の時が流れる。そして、妻の死。夫は今からが本当の孤独である。こういった内容のテレビドラマでしたが、もっと気楽に物見遊山にキャンピングカーで日本各地を巡る旅、キャンピングカーは経費節減で宿が確保できなくても最悪寝るところが確保出来、移動手段としての足の役割を果たすと言う事です。車が好きというわけではなく機能的にはこれが一番であろうと思ったわけです。リタイアー時に4~5百万円程度出せば車は入手可能、その程度なら実現可能と考えました。月の1/3というのはこの程度が長すぎず短過ぎずバランス的によかろうと言うだけでこのバランスは実践しながら変えれば何とでもなると思っていました。正直な話この時まだ自動車の運転免許すら持っておりませんでした。まだ働き盛り、年がら年中こんなことを考えていたわけでなく、ふと先のことを考えたりすることが誰しもあると思いますが、そんな時このテーマが頭をよぎると言う程度でした。52歳の時沼津に転勤、住む家を決めてから通勤のための公共交通機関がないことが判明し自動車運転免許取得、更にその時の借家の前の荒れ地を勝手に開墾して家庭菜園を始め、ここで百姓のいろはを学び晴耕雨読の何たるか、少し早めの夫婦二人だけの老後生活をかじったわけです。まずは朧気ながらも思い馳せることから始まり、何かの時にその思いが判断要素の一つになり、自らの行動の判断基準に加わり、いざ右左を決めると言ったような時に影響するのではと思います。実際リタイアーしてその後どうなったかはこの便りで記述してきましたが、要約すれば結局放浪の旅はせず、旅と言えば1回/月程度の二泊三日の温泉旅行で済ませ、後は半農半弓と称し百姓と弓にうつつを抜かすという悠々自適が実現したわけです。これが哲学かとお思いでしょうが「百姓」の選択に少しこの思いが込められています。百姓を選んだのには哲学が必要でそれほどオーバーなものではありませんが考え方のよりどころになるものです。自分がどういう人間かは人生も後半にもなればある程度わかってきます。計画性が無くはないが充分とはいえず、自己コントロールは得意かと言うとそれほどでもないというようなことです。毎日が日曜日いうリタイアー後は、なにか自然に規制がかかるような仕組みに自分を置かないと、ややもすれば無為に流されてしまいます。こういう人間は自然を相手にするのが一番で、自然は待ってはくれませんし、それなりの計画を立てるか、自然に従うしか ありませんがそれにうまく対応できれば良い訳です。自然は怠け者を叱咤激励しながら従わせてゆくが、時に人は逆らいながらもそれを克服しようと色々試みる。この辺のところが面白いところで自然との共生というテーマの真髄ではないでしょうか。いうなれば蓋然性と意外性が繰り返し起きてくるところが面白いのです。
2019(令和元)年5月1日