2022年迎春

皆様

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

本年最初の便りお届けします。

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2022年迎春
 新年明けましておめでとうございます。皆様ご家族お揃いで新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。ところで手紙の年賀状ですが加齢を理由に廃止の報をいただいておりますが、古き良き日本文化との趣旨から体調が許す限りは続けたいと思っており、先方の意向を無視して配信しています。当方はと言えば今年の7月で大台の傘寿になります。下半身よれよれですが、口を含めて上半身はなんとか機能しているようですがこれも時間の問題かもしれません。いずれにせよ100年に一度と言うパンデミックに遭遇し、希望的観測でも3年で消滅するかどうかと思っていましたが今年が勝負所と言った感じです。さてここにきてオミクロン株の市中感染が相次いで報道されていますが第6波の流行は時間の問題になったかと思っています。新年ともなれば今年の抱負などと言った課題が思い浮かびますがこれが全くそういった思いに至らないとはどういう事でしょうか。病は気からとはよく言ったものですがこの「気」が歳を取ると衰えるのでしょうか。経年変化はどちらかと言えば物理的な物とか肉体に起こる現象だと思っていますが心の部分に起きる現象が「気」の問題だと思います。これは結構厄介な問題ではないかと思いますが対処法の決め手が良くわからないからです。元気だとか病気だとか恋心だとか比較的顔に表情がでるようなことは対処法も確立されているようですが、「何となくその気にならない」と言うような中途半端な場合の対処が問題です。何時の頃からか当方もそんな感じになっているのではと思っています。経年変化ですがまずは物欲・金銭欲といったようなことが行動や動機につながるものと、知識欲や好奇心が作用するものが動機付けになると言ったことがあるかと思います。物欲については育った環境の影響が大きいと思いますが、好奇心は生まれつき強い人とそうでない人がおり、かなり先天的な問題なのかもしれません。物欲が減退するのはそれなりに満たされていると思ったからなのでしょうが「気」が減退するのは原因がはっきりしないまま時間ばかりが過ぎてゆくと言った感じです。ここまで記述して筆が止まったので専門家はどう考えているのか調べてみました。『「やる気」という言葉は、「やる気」のない人間によって創作された虚構だ。これからそれを説明すると人間は、行動を起こすから「やる気」が出てくる生き物なのだと。仕事、勉強、家事などのやらないといけないことは、最初は面倒でも、やりはじめると気分がノッてきて作業がはかどる。そうした行動の結果を「やる気」が出たから…と考えているだけなのだと。それは心理的にありもしない壁を勝手につくっている状態。「やる気が出ない」というのは虚構にすぎない。だから、面倒なときほどあれこれ考えずに、さっさと始めてしまえばいいのです。「やる気を出すにはどうすれば…」と考えるだけで行動しないことは、時間の無駄でしかありません。本来「やる気」というのは行動を起こせば自然とついてくるものなので、わざわざ「やる気を出す」ために特別な方法を探す必要はないのです。人間は言葉が発達したことで、行動の結果にしかすぎないものに対して「やる気」なんて言葉をつくってしまった。それに翻弄されているだけなのです』とバッサリ切られました。何となく分かったような、わからないようなどうもスッキリしません。要するにごちゃごちゃ言わずに行動せよと言う事と理解しましたが益々腰が重くなりました。「やる気を出す」は虚構と言う事から2022年の新年に当たり「ともかく行動」と言う事を頭の隅に置いておこうと思った次第です。まだまだ寒い日が続きますが、皆様には今年こそはパンデミックを克服し、いつも通りの平穏で心豊かな日常を過ごされんことをと心よりお祈りいたします。この便り今年も宜しくお願い致します。
2022年元旦   

 

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本役者浮世絵の題材は、「赤穂事件」で吉良邸に討ち入りをした赤穂義士47人の統率者「大石内蔵助」です。 作者は、「歌川豊国(三代)」です。初代「歌川豊国」の門人で、江戸時代に活躍した浮世絵師。歌川豊国(三代)は、迫力ある「役者絵」や、江戸の粋を描いた「美人画」で人気を博しました。